まだ恋愛で消耗してるの?

世界の隅っこ気味のAセクのブログです

人は自信がつくと「性別論者」になるのかもしれない

 大学卒業以来久しく会っていなかった友人とお酒を飲みに行ったら「性別論者」になっていました。思えば元から根強い「悪意なき偏見」を抱えているタイプではあったのですが、それでも今まで親しく付き合ってきたのは、基本的には「いいやつ」であり、「世の中の恋愛礼賛って息苦しいよね」という価値観を共有できる仲間だったからです。大学時代はよく居酒屋で一緒になって管を巻いたりしていました。

 そういう仲だったので、その日もいつもの愚痴の延長線上で「こういう『男女あるある』って嫌だよね」という話をしたわけです。そうしたら返ってきたのが

「いやでも、男なんて(女なんて)基本、みんなそんなもんだよ」

 という言葉。ちなみに友人は身体的性別・性自認共に男性で、恋愛対象は女性。世の中においてマジョリティとされる属性を有しているわけですが、そんな彼の口から、全てのマジョリティを代表するような口調で「そんなもんだよ」が出てきた。びっくりしました。確かにここ1年くらい会っていなかったけれど、そして上述の通り「悪意なき偏見」に足を掬われがちなひとではあったけれど、ここまでカチコチだったかなあ? と。

 それで詳しく彼の話を聞いてみると、どうやら碌に連絡をとっていなかったこの1年間、様々な女性と交際を持ったのだそう。ちなみに今も彼女がいるようで「今とっても幸せだよ」と嬉しそうに報告してくれました。

 うん、それは良い。私も人の子なので、友達が幸せそうにしていたら嬉しくなります。けれど、よくよく話を聞いてみると、いつの間にやら彼の中に巣食っていた「性別論」は、どうやら多くの女性と交際を持って「男性としての自信」がついたことに起因するようなのです。いやそもそも男性としての自信ってなんやねん、って話ではあるのですが。

 思えば、それまで彼はいわゆる「非モテ」で、お酒の場で女性経験が無いことを馬鹿にされることもあるようでした。彼いわく、それが「くやしくて」多くの女性と経験を持ってみた、とのこと。その結果「男女って結局こうだよね」という性別論に行き着いたらしいのです。

 なるほど、と思いました。おそらく彼にとって今まで得体の知れなかった恋愛市場は、既に攻略可能な「ゲーム」となり、今や彼はその攻略者です。だから多分、本当に善意で、未だミュウツーを捕まえていない友達に「ハナダのどうくつにいるんだぜ」と教えてあげるのと同じ感覚で「男なんて基本こうだよ」と言っている。彼には本当に、なんの悪気もないんだと思います。

 ひとくちに「男」「女」なんて言ったところで、性格は十人十色です。当たり前です、ひとりとして同じ人間はいないので。ところがそれが「恋愛市場」という俎上に乗った途端「攻略する・される」の関係へと画一化されていく。

 トロフィーワイフの例にもあるように、男性にとって社会的な成功は恋愛市場での成功とイコールとされてきました。社会的に成功を収めた男性はモテる。逆説的に、美しい女性を手にした男は、即ち社会的成功者である。そんな言説は博物館に展示してある化石みたいなものだとばかり思っていましたが、こうして周囲の人間をみるに、このご時世でも充分幅を利かせているのかもしれません。

 もちろん、彼はあくまで私の周囲にいる人間のたった一人に過ぎず、あくまで私がたまたま観測したひとつのサンプルケースです。全ての人がそうだとは思いませんし、彼もいずれ考えを改める日が、きっと来ます。来てくれ。

 けれど、彼からすれば未だに「恋愛ゲームの攻略法がわからないかわいそうなやつ」の私は、どんな言葉で以ってその驕りを諌めたらよいのかわからないまま、気付けばビールを5杯くらい空にしてお店を後にしていました。次会った時には、真正面から言葉を交わせますように。