まだ恋愛で消耗してるの?

世界の隅っこ気味のAセクのブログです

「遅れてるね」と言いたくない

 世の中の格差や差別意識の是正への取り組みの文脈で「遅れてる」とか、反対に「先進的だ」とかいう言い方をすることがあります。例を挙げるなら「結婚して家庭に入るのが女性の幸せだよね」なんて真顔で言っちゃう上司に対して「センパイ、その考え古いですよ」「そんな価値観は時代遅れですよ」とか答える、ああいうやつです。

 これはちょっと極端な例ですが、実際「進んでる」「遅れてる」という言葉で価値観を評価することは、それこそお酒の席での気軽な雑談からもっと真面目に意見を表明する場まで多々あるのではないかと思います。……で、我ながら重箱の隅をつつくような感想ではあるのですが、この言葉が嫌いです。

 記憶力の良い方は「は??」と思ったかもしれません。だって、ひとつ前のエントリで私自身が「遅れてる」的評価を使ってるんですよね。

そんな言説は博物館に展示してある化石みたいなものだとばかり思っていましたが、こうして周囲の人間をみるに、このご時世でも充分幅を利かせているのかもしれません。

人は自信がつくと「性別論者」になるのかもしれない - まだ恋愛で消耗してるの?

 その舌の根も乾かぬうちに、と思われるかもしれないのですが、一度書いてしまったものは仕方ない。ので、自戒の意味を多分に込めたエントリです。

「遅れている」の何が悪いのか

 ちょっと上の小見出しをもう一度読んでほしいのですが、これって「あなたって遅れてるね」と言われた時に、言われた側がそっくりそのまま抱きそうな感想だと思いませんか?

 実際のところ「遅れている」という言葉は、かなり色々な場面で使われます。

 たとえば、便利なアプリを無料でダウンロードし放題なこのご時世にフィーチャーフォンガラケーのことです)を使っている人に向かって。

 たとえば、メモは手書きに限るのだと口を酸っぱくして部下に指導する上司に向かって。

 たとえば、エクセルを方眼紙にする人に向かって。……いや、これは遅れてるとか遅れてないとかじゃないですね。絶対悪です。これだけはキレていい。サーチアンドデストロイ。

 ……さておき「遅れている」「進んでいる」というのは、要はその時代において主流の技術なり価値観なりが基準となった、相対的な価値観です。「今はみんな甲なのに」「それに対して乙なあなたは」「遅れている・進んでいる」というわけですね。つまるところ「遅れている」も「進んでいる」も、時代の流れに対してマイノリティであるということになります。

 ここに2つの問題があります。ひとつは、そもそも「時代の流れ」というものが目に見えない、曖昧模糊とした存在であること。そしてもうひとつは、ともすれば「マイノリティである」ということそれ自体を切り出して「だから良い・だからダメ」と評価している論調に見えかねないこと。これは、ことマイノリティや差別問題について語るときには絶対にあってはならないことですが、言葉の上っ面だけを掬えば「あなたは時代の感性というマジョリティに対するマイノリティである。だからダメ」と言っているように聞こえかねません。

 もちろんこれは揚げ足取りに過ぎないのですが、無意識のうちに偏見や差別意識を抱え込んでしまっている人にとってはそもそも何が悪いのかわからないのですから「自分は時代から取り残されてる、"遅れた"マイノリティだから悪いってのか」と誤解してしまったとしても不思議はありません。

 そうなってくると「遅れていて何が悪い」「猫も杓子も甲と言うご時世だが私は乙を推してやる!」と、こういうへその曲げ方をしてしまう人が出てくるわけですね。極稀に「私は時代遅れな人間なので」と「時代遅れ」を免罪符のように繰り出してから堂々と差別感情について語り始める人がいますが、おそらくはこういうメンタリティになっているのではないかと思います。

 そもそも差別の是正は流行り廃りではない

 上述の問題に付け加え、相手に差別意識や偏見を「時代遅れである」と告げることは、差別の是正や偏見の解消を一時的な流行りであると印象づける危険性もあります。

 そもそも、今我々が語ろうとしている問題は、相対的な評価軸で判断を下せるものではないはずです。人権は「昔と比べて良くなったから」とか「どこそこの国と比べてこうだから」という切り口では議論できません。全ての人間が、絶対的に有している尊厳ですから。

 もちろん、上で書いたようなことは「遅れているね」と言う側にとっては当然のように理解していることだと思います。「遅れていることの何がダメなんだ、それこそマイノリティ差別じゃないか」という反論は、あまりにも本質から外れた、揚げ足取りにしか見えないでしょう。けれど、どうせなら取られる足はない方がよいし、わかっていて揚げ足をとっているのならともかく、本当にそういう風に「よくわからない『世間』とやらから爪弾きにされている!」と思い込んでしまう人がいたら、それはお互いにとって、とても不幸なことだと思うのです。

では代わりになんと言うべきか

 先に結論から書いてしまうと、これについては私も正解がわかりません。人権問題が相対的な評価軸で判断をくだせない問題ならば、本来は「正しい」「間違っている」と言うべきなのかもしれませんが、それにもどうしても違和感があります。

 もちろん、ある特定の属性を持つ人に対して差別的な感情を持つことは、絶対的に「間違っている」行為です。私はその点について自分の「正しさ」を信じていますし、これはゆるぎのないものだと思っています。けれど、誰かに「あなたの価値観は間違っている」と伝えなければならないとき、その事実を抜き身で突きつけるよりもよい相互理解と説得の方法があるのではないかと、どうしても考えてしまうわけです。もしかするとそれは、単に「あなたは間違っている」と指摘することに怯える私の逃げなのかもしれませんが。

 そういうわけで、このエントリに結論はありません。結局のところ、誰に何をどう伝えるべきかなんて「時と場合に寄」りますし、かといってひとりひとりの顔を見てお話しましょう、なんて言っていたらブログもTwitterも畳まなければいけなくなるので。

 ただ、私個人として「あなたは遅れている」「その考え方は時代錯誤だ」という言い方は安易に言わないようにしていきたいなあ、という、それだけのお話でした。